なんでもかんでも

あっちもこっちもこっちもそっちもにっちもさっちも

月が明るいですね

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もしかするとめちゃくちゃこわい画像を貼り付けているかもしれないと気にしつつ、布団の中で指を動かしています。こんばんは。

そろそろ寝ようと思って布団に入ったものの、月が明るいじゃないですか。最近月が近いなぁとは思っていたけど、寝室のあたりに月が来る前に就寝していたのでこんなに明るいなんて気付きませんでした。

夜、電気を消してから窓越しに見る月が好きです。深夜でも休むことない人工の明かりに照らされた街の上で、それに勝る明るさで空の色を変えてしまう白っぽく丸い大きな月が好きです。ほそーーーいオレンジの下弦の月も三日月も、もちろんいいけど、これらは起きているとき用って感じがします(どんな感じだ)。

昔は月明かりで勉強した、本を読んだというけれど、スイッチを押せば深夜でもすぐ電気のつく時代。人々が寝静まっても人工の光が道を町を照らす時代。そんななかで、暗い部屋の窓から力強く空を照らす大きな月を見ているのが好きです。月明かりで本を読み夢をふくらませるいつぞやの誰かと、つながっているような気が…なんていうと大げさかもしれないけど、そんなロマンがあるなぁと思います。

なんとなく寝れないなぁとぼーっとしていたら、障子の奥が明るくて、わたしの中の無邪気くんが元気になって、好奇心を掻き立てられました。寝ようとして15分しか経っていない、と寝ぼけているだけで、もう朝が近いのかなと思うくらい障子越しの空が明るくて。寝た姿勢のまま腕だけ挙げて頭上の障子を開け…ると、デデーンわたしの好きなやつぅぅ!!いつもなら、うふふと見惚れているうちに無邪気くんが静かになって寝落ちてるパターン。でもせっかくだから気付いたときに記録しておこうと思って、母妹が寝息をたてる寝室でパシャと電子音を鳴らしたのでした。

うちの風景


夜10時。うちのリビングにある音は、妹がシャワーを浴びている音、水槽のあのブクブクのモーターがブーンてなる音、それから、テレビ…ではなくて、葉加瀬太郎のヴァイオリン。

わたしは小学5年生の冬、仲間由紀恵を贔屓にしている父が土曜日の9時だしいいかとごくせん第2シリーズにチャンネルを合わせるまで民放の連続ドラマを連続で見たことがなかった。

21時になったらテレビの時間は終わり。朝はNHK以外のチャンネルであんなに賑やかな番組が放送されているなんて知らなかった。いや、21時になったらテレビはおしまいと言ったけど、あれ、なんか違う気がしてきた。21時には就寝だったから、平日は特に20時にはテレビが消えていた。

若い日の、キラキラが迸ってるキムタクのプライドとか、救命病棟24時とか、お母さんが見ていたドラマはふすまの隙間から覗き見していた。

なんてこと…!もう今じゃ考えらんないなぁ(笑)

あの頃は自分でリモコンを持てるのが天才テレビくんまでで、でもそれが普通だったから特に何も不満はなくて、けどやっぱりもうちょっと見たくて。

学年が上がる毎に周りのテレビ視聴時間は遅くなるわけで、そうなってくると、なんでうちはこんなに早くテレビ消すのってもやもやしてた。たかがテレビだけど、されどテレビだった。そんな小さな社会にいたんだなぁ。

そうそう、何が言いたくてここを開いたのか忘れてしまいそう(笑)何が言いたかったって、わたし、なんかこの、夜だけどまだまだ活動時間なこの時間に何よりもスピーカーから流れるCDの音が一番存在感を持ってるこのうちの風景がすき。かも。

曲と曲の間、シンとするそのときにクーラーの音が聞こえたり、シャーペンのシャリシャリする音が聞こえる、田舎とは言えない住宅街のマンションにあるこの空間がけっこうすき。

今はすっかりテレビとかレコーダーとかを操るのはわたしがその殆どを(多少嫌がられながら)やっているけど。好きなだけテレビを見れるけれど。

こういう時間がたまにあるといい。テレビって無意識にいろんな機能を使ってなんか疲れるしね、なんだか。

時間を区切って、視点を自由なところにおいて、思い思いの場所でそれぞれの作業をするリビングがわたしの原風景としてずっと残っていくのだとしたら、なんかそれっていいなって思って。


あ、ドリカムに変わった

 

 

20151122